郷土人形ずかん

江戸時代

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 子供の玩具としての郷土人形はいわば消耗品であるから、後世まで残るというのは難しい。写真の相良土人形の歴史は古く、初代相良清左ェ門は江戸時代天明期(1781~1789)にその苗字を冠した相良土人形を創始し、大いに栄えたという。相良土人形はその後七代、昭和18年まで続いたが廃絶、昭和42年に再興された。

写真:山形県米沢市 相良土人形 江戸時代

明治時代 初期

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 300年近く続いた徳川幕府が崩壊し、日本は鎖国政策から一転して積極的に欧米諸国の文化・文明を取り入れる近代化政策を推進した。しかし、地方ではまだまだそういった新しい波は波及しておらず、地域に根ざした郷土人形が作られていた。その中でも天神人形は、世相とは無関係に時代や地域を問わずに制作され続けた人形の代表的なものである。

写真:石川県金沢市 金沢土人形 天神様

明治時代 中期

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 新政府が樹立され、日本は欧米列強と肩を並べるべく、富国強兵政策のもと様々な分野で新しい文化や技術が導入された。社会は活気に溢れ、庶民も娯楽や物見遊山を楽しむようになった。その中でも歌舞伎は最も人気の高い娯楽で、そこで演じられる演目の人形が人気をよび、人々の関心の的となった。

写真:愛知県碧南市 棚尾土人形 明治中期

明治時代 末期

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 大日本帝国憲法が発布され、高まってきた世論に対して言論弾圧も行われるようになった。日清、日露の戦争を経て日本は軍国主義への道を歩んでいくことになる。しかし、社会の変遷はあっても庶民の生活にそれほどの急激な変化があるわけではない。収穫が終わった山村では祭りを楽しみ、人々のささやかな娯楽としての踊りを着飾った人形に表したのだろう。

写真:愛知県豊橋市 豊橋土人形 明治後期

大正時代

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 大正デモクラシー運動が高まる中で、政府の弾圧もまた厳しくなっていた。また、第一次世界大戦が勃発し、軍国主義が次第に高まる中で、人々の啓蒙的欲求も大きくなり、文学や歴史などに興味が寄せられた。平家滅亡に題材をとったこの人形は、制作年代、作者名がわかる貴重な作品である。

写真:愛知県豊橋市 豊橋土人形 大正時代

昭和初期

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 金融恐慌、世界恐慌が始まり、大正12年の関東大震災の影響もあって、日本でも社会、経済状況は不安定となっていった。そのような世相を反映して、人形は豊作や暮らしの平安を願って生活に密着したものが多く作られたようである。しかしながら、そういった人々の願いも空しく、戦争への足音は次第に高まりをみせていったのである。

写真:京都府京都市 伏見土人形

昭和第二次世界大戦後

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 戦後、大きな痛手を蒙った人々が最も願ったのは平和と、子どもの健やかな生長であった。金時や桃太郎などの童話に題材をとった人形のほか、縁起物の鯛や春駒、俵などを抱えた童子の人形が多く作られた。この作品もその一連で、滝登りをする鯉にあやかった、子どもの健やかな生長と幸運を願うもので、題材としても最も喜ばれたものの一つである。

写真:東京都台東区 今戸土人形

昭和後期

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 第二次世界大戦を経て、世界は社会的、経済的、そして技術的もに目覚しい発展を遂げた。日本もまた東京オリンピックの開催やカラーテレビなどの電化製品の普及に代表されるように、景気の高騰に沸き立ち、人々の消費も増大した。新しくて便利なものがもてはやされるようになり、郷土人形も次第に衰退期を迎えるようになる。題材も自由で新しいものが作られるようになる。この娘の顔の描き方も現代風である。

写真:島根県出雲市 今市土人形

平成期

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 社会が急激なスピードで変革していくにつれ、むしろゆるやかな精神的充足を求める風潮が生まれるようになる。古くからのしきたりや伝統が見直され始め、郷土人形の世界にも新たな展開が求められるようになってきた。見ているだけで安らぎを与えてくれる素朴な人形たちを求める人は多く、これまで同じように繰り返されてきた郷土人形の歴史に、再び新しい息吹が吹き込められようとしている。だがその一方で生産性や経済性に劣る郷土人形の世界では、後継者不足が深刻な問題となっており、既に廃絶、あるいは衰退しているものも多い。時代の潮流に乗りながら、伝統的技術の継承と新しい郷土人形の創生が今後の課題であろう。

写真:島根県出雲市 今市土人形